【パニック障害体験記②】希望が見えず、ひたすら絶望する日々

体験記 パニック障害体験記

通学の電車に悪戦苦闘

ついに始まったパニック障害の代表的症状である「乗り物恐怖」。

たった一度のパニック発作からこうなってしまう人は、僕だけではありません。
一度目の発作で、「またいつ発作が来るかわからない」と思うようになり、閉所を異常に怖がるようになってしまうのです。

まだこの時代は「パニック障害」という言葉が一般的ではなく、僕自身も知らなかったので、単に「なんか電車に乗りづらくなったなぁ」くらいにしか考えていませんでした。

乗り物に乗るのが怖いなどという感覚は、生まれてこの方持ったことがありませんでしたし、そんな感情を持つなんて考えもしなかったため、あまり現実感がなかったのです。

単に、「一時的に電車に乗るのが面倒に感じるようになった」くらいに軽く考えていました。

 

しかし、事態は思った以上に深刻でした。

仮に電車に乗る場合でも、急行や特急に乗ることは絶対に無理。
各駅停車以外に選択肢はありません。

しかも、各駅を選んだところで途中で気持ち悪くなることもしばしばあり、一旦下車して回復するまで待つ、ということも。

これにより、本来ならば1時間ほど電車に乗っていれば大学の最寄り駅に着くのですが、ひどい時は最寄り駅到着までに3時間以上かかる時もありました。

一人暮らしをしていて大学まで近かったときは何も無く、実家暮らしを始めた途端にこうなるとは・・・と皮肉な感じもしましたが、こればっかりはしょうがありません。

再び一人暮らしを試みるも

最初の頃はなんとか頑張って通っていたのですが、徐々に大学へ行くのが億劫に。
週に5回行くべきところを、週に4回、週に3回、週に2回と、段々減っていきました。

最終的には「週に1回行けばいい方」くらいになってしまい、いい加減これはまずいと思い、親に「電車に乗るのがキツいから、また大学の近くに一人暮らしさせてくれ」と懇願してみました。
お金がなかったので、情けないことに親のスネをかじるしかなく・・・

しかし、返ってきた答えは「甘えてるだけ」。
ズバっと一刀両断。。。

確かに、戦後を生き抜いてきた親の世代からすれば、僕の言い分など単なる甘えにしか聞こえないのでしょう。
これはこれで仕方が無いことだと思います。

しかし、この頃の僕は本当に電車に乗るのがキツく、一駅越えるだけでも一苦労、というような状態の時もありました。

大学3年生の間はなんとか必死で通ったものの、結局あまり単位も取れず、このままでは真剣にまずいと感じ始めた僕。
既に、留年はほぼ間違いないという状況に。

この頃は食欲もあまりなく何事にも意欲が持てず、バイトもできない状態。
もちろん、お金もほとんどありません。

 

この状況を受けて、それまではなんとなくお願いしていた一人暮らしですが、イチかバチか強気でお願いしてみることにしました。
「一人暮らしさせてくれないのなら大学を辞める」くらいの勢いで。

すると、さすがに真剣さが伝わったのか、ここでようやく親からOKが出ます。
「引っ越し費用と家賃は出すから、月々の生活費は自分でなんとかしなさい」という条件で。

すぐさま、喜んで承諾する僕。
「この体の状態でバイトできるのかな・・・?」という不安はあったものの、単位を取るためにはなんとか大学の近くに住む必要がありました。

 

ちなみに、このように書くと、まるでパニック障害のために単位が全然取れなかった、みたいに思われるかもしれませんが、正直に言うとそういうわけでもありません。

もちろんパニック障害も一因ではありますが、大学1~2年の時にパチスロや麻雀に没頭しすぎたという理由もあります。

妙にハマってしまい、大学の友人たちと日々パチスロ三昧な生活を送っていたので・・・・
プラス、飲み会や麻雀などにも明け暮れており、こちらの方が単位不足の主要な原因です。
自業自得ですね。。。

不意に訪れた二度目のパニック発作

何はともあれ、再度一人暮らしをすることができた僕。

こうなればもう怖いものはありません。
あとはガンガン単位を取って、無事4年で卒業するだけ!

・・・・・・なのですが、、、

物件を決め、引越し作業を終え、ついに一人暮らしを再開。
引越し業者さんたちがいなくなった部屋で、久しぶりの一人暮らしに酔いしれます。

「やった・・・ また自由な暮らしが戻った! 大学も近いし、これでなんの問題もない!」

こう思い、心の底から浮かれていました。
しかし、感情とは裏腹に、なにやらモヤモヤした気持ちがあることにも気付いていました。

「せっかく待望の一人暮らしが出来たのに、なんでこんなにモヤモヤしてるんだろう?」

不思議に思いつつも、ここは一つリフレッシュしようと、近くのパチスロ屋へ一勝負しに出掛けることに。

 

いろいろな店を見て回り、慎重に打つべき台を吟味したおかげか、良さげな台と遭遇することができて無事勝利を収めたこの日。

引越し完了の祝いも込めて、一人で祝杯をあげようと思いコンビニでビールやらつまみやらを買い漁りました。

「彼女とか友達とかと飲みに行けばいいんじゃ?」と思われるでしょうが、この頃は人と会うのもやや億劫になっていた時でして・・・
飲んでいる最中に「気分が悪くなったから帰る」では失礼すぎるので、この原因不明な症状が治まるまではなるべく人とは会わないようにしようと思ってしまい、自然と人と会うのを避けていました。

 

帰宅後、買ってきたビールとつまみを頼りに一人で乾杯。
空腹に任せてガンガン飲み食いを進めます。

しかし、原因不明のモヤモヤは晴れず。
いくら飲み食いを進めようとも、なんだか不安な気分のままで全然すっきりしません。
いつもはおいしく感じるビールも、この日はなんだかまずく感じられます。

「酒が足りないんだ。」

無謀にもこんなことを考え、全然おいしく思えないビールを無理矢理あおる僕。

と、その時でした。

以前車を運転していて細い道に迷い込んでしまった時に突如襲ってきた、あのイヤな感覚。
あの時と同じような不快な症状たちが、一気に僕に襲い掛かってきたのです。

動悸・吐き気・冷や汗・めまい・腹部の不快感・頭痛・震え・絶望感・・・

そうです。
ついに2回目となるパニック発作が発動です・・・

この時の不快症状は、あの1回目の時を凌いでいたような気がします。
本気で「死ぬ!」と思いましたから。
というか、「こんなに苦しむんならいっそ死にたい!」と強く思ってしまいましたから。

しかし、こんな時に思い浮かぶのはやっぱり親のこと。
彼女や友人ではなく、やっぱり親なんですね。

僕は、特に親にべったりだったとかいうわけでもなく、むしろわりと疎遠な方だと思うのですが、「ここまで頑張って俺を育ててくれたんだよなぁ・・・・」という思いが頭を過ぎり、どうしても自殺的な行為に移ることはできませんでした。

この時の発作は特に絶望感が強かったため、つい自殺までチラついてしまいましたが、なんとか回避できて良かったと思っています。

両親の顔が過ぎったのに加え、その後に彼女や友人の顔も浮かび、「まあ、死ぬのはいつでもできるか。」となんとか踏み止まれたのが幸いでした。

 

この二度目の発作が起こった時点で病院へ行けば良かったのですが、まだまだそんな気持ちにはなれなかった僕。
まさか病気だとは思いもしなかったので、病院に行ってなんとかなるとも思ってもいなかったのです。
「ただ精神が弱いだけだ! もっとしっかりしないと!」と思うばかりでした。

 

そして幸いにも、その後は徐々に回復していき、わりと順調な生活を送れていたこともあり、段々とパニック発作のことも忘れていきました。

しかし・・・・・・
まだまだパニック障害は僕を解放してはくれませんでした。

一旦回復するも、三度目のパニック発作が・・・

二度目のパニック発作からしばらくした後。

最初の頃は不気味な感情が消えなかったものの、

「気にしてもしょうがない。 せっかく一人暮らしをしたんだし頑張ろう!」

という気持ちが強かったので、無理矢理にでも大学へ行ったり、バイトを決めたりと動いていました。

この頃はまだ本格的なパニック障害に突入していなかったためかいろいろ無理も利き、また、無理をしているうちにそれが普通のこととなり、徐々にパニック発作のことなど忘れていき、いつの間にか普通の生活が送れる状態になっていました。

 

ところが・・・・・・
ついに3回目のパニック発作が僕を襲います。

今にして思えば、この3回目の発作こそ、僕がパニック障害になってしまう決定打でしたね。

 

確か、2回目の発作から半年ほど経った頃だと思います。

その日は、大学終わりでパチスロ屋へ。

ちなみに、ただ遊びに行っていたわけではありません。

バイトで生活費までは補えましたが、さすがに家賃までは無理。
でも、できれば家賃も自分で補いたい。

こんな思いから、バイトに加えてパチスロも真面目に打ち出し、家賃や生活費の足しにしようと思っていたのです。

幸い、この頃にはパチスロでの立ち回りの腕が充分備わっていたことに加え、時代的に勝ちやすい状況だったので、毎月ほぼ確実にプラスにできるような状態でした。
2000~2001年くらいですね。
あの頃のパチスロについて知っている方は、いかに勝ちやすい状況だったか覚えている方も多いはず。

 

パチスロ屋へ到着し、いつものように良さげな台(出そうな台)を見つけ出して着席。
この時選んだ機種は、忘れもしない「ハードボイルド」という機種。

ここでパチスロのことを長々と説明するのもどうかと思うので、凄くかいつまんで書きます。

この機種には「AR1000」と呼ばれるプレミア的な役が存在し、このプレミア役を引いてしまうと最低でも2~3時間は打ち続けないといけなくなります。
この間、コインが出続けますので。

そしてこの日、なんとこのAR1000を引いてしまったのです!

僕は、強烈な興奮に包まれました。
今日は一体いくら勝てるんだ?と。

2~3時間はコインが出続けると書きましたが、これはあくまで最低ラインで、もっともっと出続けることも普通にありえます。
「閉店まで連チャンが終わらず、一撃で10万円勝ち」なんてことも珍しくありません。

興奮により、心臓がバクバクと波打っているのがわかります。

「やった・・・ 引けたっ・・・ よぉし、出ろ!出ろ!」

ただでさえ興奮しているところへ、さらに自分で自分を煽ります。
体もカッカカッカと熱くなってくるのがわかります。

 

その時でした。

 

ドックン、という大きな鼓動が起こり、直後に、今までのパニック発作で味わった動悸よりもさらに激しい動悸が始まったのです。
ただの興奮からくる動悸とは明らかに別物。

もちろん、同時に冷や汗や吐き気といった症状もどんどん追随してきます。

「うそ・・・・・ こ、これって・・・・・」

こうした発作はこれで3回目。
すぐに理解しました。
ああ、また始まったんだ、と・・・・・
死すら感じてしまうくらいのあの発作が、と・・・・・

今にして思うと、これは論理的拘束によるパニック発作の誘発ですね。
最低2~3時間は打ち続けなければいけない、ということに対し、無意識のうちに拘束感を感じてしまったのでしょう。

 

発作が出てしまったとはいえ、さすがにここで確実にしばらくは連チャンするこの台を捨てて帰るわけにはいきません。
生活がかかっているのですから。

もちろん何度も、

「もういい・・・・ 金なんかいらない・・・・ とにかくこの死ぬほど辛い状況から逃げ出したい・・・・」

という思いに駆られ、出玉を捨てていきそうにもなりました。

しかし、なんとかグッと堪えて、外に出て深呼吸したり冷たいペットボトルを顔に当てたりしながら体調を整えようと頑張りながら耐えました。

 

店内・店外を行ったり来たりしながら体調を整えつつ、なんとかプレミア役の消化を終え、6万円ほどのお金を手に入れた僕。
換金を終えると、この上ない不安な気持ちになりながら足早に帰宅。

この後、普段のパターンでいけば「誰かを誘って夕飯がてら飲みに行く」という流れになるところが、全く食欲が出ず、遊びに行きたいという気持ちも起こらず、結局一人で家に閉じこもってしまいました。

「なんで・・・・? なんでなんだよ・・・・・・・」と頭の中で繰り返しながら。

そして、ここから僕の生活は激変していきます。
もちろん、悪い方向に・・・

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